自分を、感情や思考と
一体化した存在ではなく
「気付く」存在として意識してみる

#275

感情に翻弄され続けるのが「自分」ではない。
その奥にある存在を感じてみて

日々何かを考え、感じる「自分」。私たちは無意識のうちに、その思考や感情と一体化しています。

でも、それは自分の「実体」ではありません。考える事も感じる事も、常に変化し続けることを思えば当然。

その事を私たちは忘れたまま、あるいは気付かないまま生きています。そして、何かに反応して自動的に浮かんでくる思考、それが引き起こす感情に翻弄され続けているのです。

つまり「実体」ではないモノにもみくちゃにされ、自分の本体を見失っている状態。

では自分の「実体」とは何?それはどんな混乱にも影響されず、沸き起こる思考や感情の奥にあるモノ。ただそこで起こっている事態を見ているだけ。

立ち直れないほどの哀しみも、決して許せないと思った怒りも。時と共に薄れ、どうでもよくなるもの。もし自分がその感情や思考そのものなら、そんな事はあり得ません。

そして本当は、長い時間をかけなくてもそうやって感情から解放される事は可能。そのためには、自分の「実体」と、感情や思考との間にどれくらい距離を置けるかが重要。

簡単ではありません。でも、だからこそ。

自分を支配している感情は自分自身ではない。その感情に気付いている存在が、自分の実体。その事に一瞬だけでも「気付いて」みて。

そのわずかな「隙間」を、少しづつ広げていく事に意味があります。




本日のおすすめアイテム

小さな悟り
人生には「小さな答え」があればいい

感情や思考に翻弄されなくなる状態が、つまり「悟り」。とてもハードルが高いと思われがちな「悟り」を「雨が降ってきたから傘をさす」くらいシンプルに、小さく捉えてみるという提案。

なぜ今、仏教なのか
瞑想・マインドフルネス・悟りの科学

仏教は遥か昔から、人間の困った本性を乗り越えるための方法を体系化してきていました。単なる宗教ではなく、驚くほど合理的で科学的な仏教の世界を解き明かす全米ベストセラーの一冊。




昨日の投稿もチェック!

find more! 他のアイディアもチェック!