2021 / 11 / 2 (TUE)
自分を、感情や思考と
一体化した存在ではなく
「気付く」存在として意識してみる
#275
感情に翻弄され続けるのが「自分」ではない。
その奥にある存在を感じてみて
日々何かを考え、感じる「自分」。私たちは無意識のうちに、その思考や感情と一体化しています。
でも、それは自分の「実体」ではありません。考える事も感じる事も、常に変化し続けることを思えば当然。
その事を私たちは忘れたまま、あるいは気付かないまま生きています。そして、何かに反応して自動的に浮かんでくる思考、それが引き起こす感情に翻弄され続けているのです。
つまり「実体」ではないモノにもみくちゃにされ、自分の本体を見失っている状態。
では自分の「実体」とは何?それはどんな混乱にも影響されず、沸き起こる思考や感情の奥にあるモノ。ただそこで起こっている事態を見ているだけ。
立ち直れないほどの哀しみも、決して許せないと思った怒りも。時と共に薄れ、どうでもよくなるもの。もし自分がその感情や思考そのものなら、そんな事はあり得ません。
そして本当は、長い時間をかけなくてもそうやって感情から解放される事は可能。そのためには、自分の「実体」と、感情や思考との間にどれくらい距離を置けるかが重要。
簡単ではありません。でも、だからこそ。
自分を支配している感情は自分自身ではない。その感情に気付いている存在が、自分の実体。その事に一瞬だけでも「気付いて」みて。
そのわずかな「隙間」を、少しづつ広げていく事に意味があります。